ザ・タイマーズの放送事故の夜のヒットズタジオの女性司会者は誰?名前は?

 

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こんばんは。ガイドです。

 

今回も気になる世界についてご案内していきたいと思います。

 

なんだか話題になっているのが、夜のヒットスタジオのザ・タイマーズの放送事故の映像ですね。

 

そのときに若かりし頃の古舘伊知郎さんが司会していたのですが、女性司会者の名前が気になっている人が多かったの調査してみました。

 

それでは、まいりましょう。

 

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ザ・タイマーズの放送事故

 

女性司会者の人がかなりちょっかだされていますね。

 

触られたり・・・

 

生放送だからその場ではどうしようもなかったのでしょうか・・・

 

今やったら当時よりもさらにアウトですね。

 

さらにザ・タイマーズが放送禁止用語を連発していました。

 

FM東京への報復といわれています。

 

それでは、このザ・タイマーズにちょっかいだされていた女性司会者は誰なのでしょうか?

 

名前などを調査してみました。

 

夜のヒットスタジオの女性司会者は誰?名前は?

 

 

GWINKOさんという名前みたいですね。

 

経歴
沖縄アクターズスクール第1期生で、1986年にソニーのオーディションに合格し上京、アクターズスクール出身第1号タレントとなる。翌1987年9月にシングル『STAR SHIP-I’m going high-』(CBSソニー)でレコードデビュー。デジタルサウンドを前面に押し出したR&Bをややハスキーで伸びやかなヴォーカルで歌い、シャープなダンスでキメるというスタイルは、のちのアクターズスクール出身歌手のひな型となった。

1988年夏、CBSソニーの創立20周年記念コンサート『NEW BLOOD 88-89』に参加。同年末、大沢誉志幸プロデュースのEPIC/SONY10周年記念コンサート『Dance To Christmas』(及び同名のクリスマス・アルバム)への参加で注目を集める。翌1989年夏に『NEW BLOODS』の一員[1]として全国7ヶ所を巡るライブツアー『NEW BLOODS presents Funk a Hips Live Show』に参加。同年10月から音楽番組『ヒットスタジオR&N」』で古舘伊知郎と共に司会を務め、タイマーズのFM東京事件にも立ち会っている(のちに降板)。1991年、アルバム『東京UKIUKI GIRL』発表直後に歌手活動を休業し帰郷。故郷の沖縄に拠点を置いてミュージカルを中心に女優活動を行なう[2]。

1994年初夏に所属事務所とレコード会社を移籍。同年9月、アルバム『Princess Moon』 (メディア・レモラス)を発表し、活動拠点を沖縄に移す。 1996年に芸術家の與那覇朝大と40歳差婚。2003年に作曲家の樋口康雄の依頼で、鉄腕アトムのトリビュートアルバム『MUSIC FOR ATOM AGE』に「GWINKO(吟呼)」で参加。病気で利き手の自由を奪われた夫を支える姿は、琉球放送で2005年3月『與那覇朝大〜妻、吟呼と歩む道〜』として放送された。2006年頃からは「美良樹吟呼(みらい ぎんこ)」名義で首里城の年中行事や「大川(ウッカー)お水取り」の祝女役等で活動している。 2008年7月2日、與那覇が心不全のため74歳で死去、葬儀では妻として喪主をつとめた。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/GWINKO

どうやら、GWINKOさんは、今では有名だったアクターズスクールの最初の出身者みたいですね。

 

そう考えると、後輩がたくさんいるのでめちゃくちゃすごい人ですね!

 

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まとめ

昔のテレビっていってはなんですが、ザ・タイマーズのような事件もあったんですね。

 

生放送が多かった時代ですし、自己主張がかなり強いバンドが多かったのかもしれません。

 

まあ、『時代』で片付けていいものかどうかはわかりませんが。

 

それでも、現代に映像で残っているですね。

 

今の活躍しているアーティストも何十年後もみられるだなと改めて思いました。

 

それでは。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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